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2016-02-26

交通事故のニュースを見るたびに思うこと


書こうか迷ったことなのだけど、忘れないうちに書いておきたい。

大阪・梅田で車が暴走する事故が昨日ありました。
この手の事故は、何度も起きていてニュースになっていますよね。

わたしは7年前くらいに京都・烏丸四条で起きた、
車が暴走する事故に、巻き込まれています。

なので、似たようなニュース映像を見ると、
やはり思い出してしまいます。

人が倒れたり、血が出たり、泣いたり、叫んだりしている現場の風景。

その京都の事故では、幸いなことに亡くなった人はいなくて、
わたしは2番目にひかれたので、ひどい症状ではありましたが、
頭が切れて血が流れたり、肋骨の骨折、
右半身全部を打撲など、全治半年。

身体の痛みもそうですが、精神的なショックも、
当時はとても大きかったです。
うつ病の治療をしていたのですが、
回復傾向だったものが、悪化したり。

状況から言って、「死ななくてよかったね」
という感じだったのです。

この事故の経験から強く思ったことがふたつあります。

ひとつは、人はある日、自分の意思に関係なく、
突然死んでしまうこと。

これは痛烈に思いました。
似たような事故のニュースを見る度に、
あの日、死んでもおかしくなかったんだと思うと、ゾッとするし、
あれ、今日わたしは、いつ死んでもおかしくないように、
生きているんだろうかと考えます。
生きてるって、「当たり前」のことではないようなんです。

だから、生きたいように生きること、
やりたいことは、全てやること。

言いたかったことを言うとか、
食べたいものを食べるとか、
やりたくないことはイヤですと伝えるとか、
そういったことからでいいと思うんです。

自分でもできないことがありながら、
こう書いているけれど、
そういった些細なことの積み重ねだと思う。

それからたとえば、ハワイ移住という目標も、素敵~! という反面、
そんなこと願うのは、バカでは? という面もある。
でも、それをやろうとする。
だって、いつ死ぬかもわからないし。
バカなくらいがちょうどいいのかもしれない。

もう一つは、事故をきっかけに、
社会との関係が途絶えかねなかったこと。
被害者をサポートする必要があること。

事故の被害は不幸なことではありましたが、
でも、幸いなこともたくさんあって、
ケガはしていても、手足を失うことはなく、
頭は打ったけれど、記憶障害はないなど、重度の障害は残らなくて。
結婚をしていたから、旦那さんがそばにいてくれて。
ケガで身の回りのことができないからと、帰れる実家があって。
保険があったから、治療の負担はなく。
会社辞めることになったけど、その後の転職活動の時には失業保険も対象になり、、。

どれかひとつが欠けていても、その後の社会復帰が、
より難しかったのではと思うことばかりです。

旦那さんや家族がいなければ、どう生活したか、
ちょっと想像もできないです。
歩くのもやっとという感じで、ものも持てない時期もあったり。
治療面がカバーされなければ、貧困問題だってあったかもしれない。

 

障害や生きづらさを抱えた人を、
社会的マイノリティと呼んだりしますが、そういった立場に、
自分がいつなってもおかしくないことを、痛感しましたし、
そちら側になりかねない自分が、とてつもなく怖かったです。

この経験から、こういったサポートを紹介する活動をしたいなと、
密かに考えていました。
事故のショックからなのか、人への言いにくさなのか、
自分の内側にしまい込み過ぎていて、自分でも忘れていたのですが、
1年ほど前に、あるきっかけがあって、
そういうやりたいことがあったと、思い出したんです。

その第一歩となることを、近々ご報告できる予定です。
これについては、また改めて書きたいなと思いますが、
「やりたいからやること」です。
事故で気づいたことのひとつ目と同じ。

 

なんだか、うまく書けてないと思うのですが、
改めて、明日死んでもいいように、今日を生きておこうと思うこと、
自分のやりたいことを、やりますね、ということ。

これだけのキッカケがありがなら、
やりたいことをやる、がブレたり、後回しになったりするんだから、
自分のなってなさにガッカリすることもありますが。

このあと出かけて、うっかり死んだら、
今の思いを書けないから、書いている、みたいに。

小さなステップを積み上げたいです。

 

 


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